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伊予市パーフェクトガイド

伊予市ガイド vol.162【こたろうの『伊予市、ナニミル?ナニヲシル?』】 第24回 寺に詣でる-(2)

ようおいでたなもし、伊予市パーフェクトガイドの世界へ~♪~♪~♪

 

第162回目は、伊予市にある「こたろう博物館」の館長であるいせきこたろうさんの『伊予市、ナニミル?ナニヲシル?』シリーズ第24回目です♪

 前回、栄養寺山門を取り上げた。その流れで、今回は栄養寺についてあれこれと述べていくことにする。

 僕は伊予市民ではなく、ましてや檀家でもない。だから、特別な思い入れがあるわけでもないのだが、僕が仕事の拠点としている「こたろう博物館」から歩いて1分もかからないロケーションにある、いわば「ご近所さん」のお寺だ。普段から目にしている馴染みの場所なのだが、「灯台下暗し」ということで、十分に知っているようで、見過ごしていることも多いだろうから、この機会に深掘りして纏めておくことにする。


 

写真:栄養寺参道

寺号碑を眺めながら思うこと

 栄養寺は、伊予市灘町にある浄土宗寺院で、もともとは長建寺(松山市御幸)の末寺であった(豫州大洲領御替地古今集、大洲秘録、大洲領寺院録などを参照)が、現在は京都知恩院の末寺である。

 六角形のカラーブロックで舗装された灘町商店街から、山門に向けて約50mの参道が続いている。

 参道の入り口に、寺号標が立てられている。正面には、「浄土宗泰昌山榮養寺」と刻まれている。「泰昌山」(泰正山と記す場合もある)は山号で、「榮養寺」は寺号である。ここで考える。寺号だけでどのお寺か判別できるのに、どうしてわざわざ山号が併せて付けられているのだろうかと。

 宝珠寺(伊予市)などは古い文献を繙けば、「谷上山」と記されるのを目にする。このように。寺は主に山中に建てられたことから、その山の名を寺院名に冠するようになったようである。しかし、栄養寺は市街地にあり、辺りを見渡しても最寄りに山などは存在しない。山号は必要不可欠なのか。どうして「泰昌山」と名付けたのだろうか。こんなことが気になって仕方なくなる。

 これとは別に院号という呼び名もある。伊予市近郊には、理正院(砥部町)、明星院(松山市平井町)、浄明院(松山市別府町)、遍照院(今治市菊間町)など、院号の方が通称となっているお寺がいくつかあるが、一般的には院号たるもの、あまり馴染み深い名前にはなってない。栄養寺の院号は安楽院となっているが、この名前を口に出されても、即座に栄養寺をイメージすることなんてできない。『浄土真宗法名・院号大鑑』には、「仏さまをおまつりしてあるところを「寺」というのに対し、僧侶などの人師の住むところを「院」と呼ぶ」と説明されている。おそらくは高僧の別称として「○○院」と呼ばれていたものが、「○○院が住むお寺」という意味で院号が付けられるようになったのではなかろうか。

 栄養寺は、元々、伊予市中村にあった寺で、開かれた当時は明音寺(みょうおんじ)と号していた。苦厭上人(くえんしょうにん)によって開基されたと伝えられる寺で、今でこそ堂宇等は見られないが、国道378号・豊栄橋から三秋峠(銭尾峠)の方へ少し進んだところから山手に少し入ったところに石塔が2基置かれている。「苦厭上人開基の地」として伊予市指定文化財(史跡)に指定されている。

 苦厭上人といっても、ピンと来ない人がいるかもしれない。というか、ピンと来る人のほうが珍しいだろう。苦厭上人という人物は、豊臣秀頼(とよとみひでより)の子・国松丸(くにまつまる)らしい。元和元年(1615)大阪の陣で大阪城が陥落した後、京都の六条河原で殺されたとされているが、一説には、一族郎党に守られながら伊予国に逃げ延びてきて、やがて山崎庄中村に明音寺を建立し、豊臣家の菩提と衆生済度に精進したと伝えられる。(一説には、苦厭上人は国松丸ではなく、その弟であるともいう。)

 

 明音寺は、後に郡中・灘町に移されて栄養寺(えいようじ)となった。

 寛永13年(1636)、宮内九右衛門通則、清兵衛正重兄弟が大洲藩の許可を得て、私財を投げ打って開拓したのが灘町の始まりである。灘町を開くにあたり寛永14年(1637)に明音寺から本堂・本尊を移転して栄養寺とし、宮内家の菩提寺とした。これがこの寺の起こりである。

 

火防地蔵菩薩の石像

写真:火防地蔵菩薩坐像

 参道入口に足を踏み入れると、右手に大きな地蔵菩薩坐像が置かれているのがわかる。非常に大きな仏像で、迫力がある。一般に「火防地蔵尊(ひぶせじぞう)」とよばれているものだ。

 台座正面には、「三界萬霊」「享保六辛丑歳五月二十四日」と刻まれている。「三界萬霊」は、「欲界(よっかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)という三つの世界に属する全ての精霊に対する供養」という意味合いだから、一見、防火とは無関係のように見えてしまう。また、地蔵菩薩は六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界)の入り口で(亡くなられた)人々を救済する仏だから、防火の功徳をもたらしてくださることをなんともイメージしがたい。しかし、日本全国に「火防地蔵」なるものが散在しているし、建立目的は防火祈願ということなのだから、どうあがいたところで、それは覆しようもない。

 伊予市灘町の街並みを眺めてもらうとよくわかるのだが、間口は一般家屋なみの幅なのに奥行きが六十間(約109m)と非常に細長い地割の住宅が犇めきあっている。火災が一度起これば、消火困難で大火災に発展しかねない。このような背景もあって、他の地域よりも一層、住民たちの防火に対しての切なる願いが大きく、この地蔵尊の建立へと繋がったと考えられる。

台座側面に目をやれば、「元座安置於灘町五丁目移転 明治四十二年十二月予此奉安置 栄養寺第十九世厳誉代」「施主 念仏行者 并 灘町中」の文字が刻まれている。元々は、灘町五丁目の「ひろい上げの地」と呼ばれる場所に設けられたものが、明治42年(1909)に移転されたことを示している。

 

佐伯矩と栄養

写真:佐伯矩博士顕彰碑

 栄養寺参道の右手、火防地蔵尊の奥側に佐伯矩(さえきただす)の顕彰碑がある。佐伯矩の肖像が描かれた陶板画が当て込まれ、その下に「栄養」の文字が彫り込まれている。平成20年(2008)11月に、佐伯矩博士五十回忌顕彰碑設立委員会により建立されたものだ。

 佐伯矩といわれてもピンと来ない人もいるだろうが、なかなかどうして、栄養学の分野では知らない人がいないといっても過言でないほどの著名人だ。関東在住の山登り仲間に、「ねぇねぇ、伊予市には佐伯矩の顕彰碑とかあるんでしょ?」などといきなり言われて、「なんで関東在住なのにそんなこと知っとんですか?」と驚いたこともある。

 佐伯矩の略歴等は、この顕彰碑の前に設置された陶板製副碑に記載されているので、灘町散歩のときにでも自分の目で確かめていただきたいのだが、ここにざっと要点を記しておくことにする。

 栄養学の創始者といわれる佐伯矩は、旧新居郡氷見村(現・西条市氷見)の出身だが、明治9年(1876)、彼が三歳の時に旧山崎村本郡(現・伊予市本郡)に引っ越してきた。地元の小学校から松山中学校に進学。更に第三高等学校(現岡山大学)、京都帝国大学へと進学後、北里研究所で細菌学・酵素などの研究を行い、そして米国エール大学大学院で学位を取得。帰国後は、世界で初めて栄養学を確立することを目指して尽力し、大正九年(1920)に開設された国立栄養研究所の初代所長に任命された。

 震災や農作物の凶作に喘ぐ人々への食育の実地指導により、栄養への関心と普及に努め、大正十三年(1924)には、専門家である栄養士を養成する佐伯栄養学校を創立した。

 そして、当時は「営養」の字が充てられていた語を、健康増進の意味を込め「栄養」に改定することを文部省に進言し、「栄養」を公用語にした。いわば、「栄養」の生みの親である。

 「栄養寺」という寺号は他に類例がなく、「栄養」という言葉が使われた例として最古らしい。これが通説のようだが、疑り深い僕は、「栄養寺という寺号は他にはないのか?」、「栄養という言葉は佐伯が最初に用いたのか?」といったことが気になってくる。

 「栄養寺」という寺号は、京都市下京区高辻町にある永養寺の異表記として、文献に登場することがある。『郷土事典』(篠山尋常高等小学校郷土教育研究会編、昭和11年)や『近世風俗見聞集 苐二』(国書刊行会編、明治45年)などで確認することができる。ただし、いくらググったところでそれ以外に「栄養寺」の情報は、この伊予市の栄養寺以外はヒットしない。

 「栄養」という言葉の起こりについては、古い文献を繙いてみると、『養生手引草 初編』(佐野諒元訳、桜川堂、明治6年)などで「栄養器」といった語が出てくる。医学的用語の一つであり、そもそも栄養学が学問として成立していない時期の本であり、今日の「栄養」とはニュアンスを異にしてはいるが、ともかく「栄養」という言葉があったのは間違いなさそうだ。『通俗養生訓蒙 上』(安田敬斎編、清規堂、明治13年)などでは、「食物の営養」といった具合に、今日の「栄養」を指す言葉には「営養」の字を当てている。

 佐伯矩の栄養学確立の原動力、「栄養」という字面に統一しようという発想の原点は、少年時代に過ごした土地の「栄養寺」にあったことは想像に難くない。それを証明する記録類は何一つ見つからないのだが、少年時代に何気なく目にした風景の中で、彼の栄養学への思い入れは自然に培われたであろう。そう信じたい。


 参道入口から山門まで、その距離は約50m。そんな僅かな距離の山門に辿り着けないまま、誌面を使い果たしてしまった。何気なく歩いたら1分にも満たないような空間にも、計り知れない興味のタネが転がっていることをあらためて思い知らされるのである。

 まだまだ、語り足りない事物に溢れている「栄養寺」。この続きは、また次号で。

◆お店の詳細◆

店名:こたろう博物館

住所:愛媛県伊予市灘町60-3  

電話:(非公開、詳しくは店頭で)

営業時間:10:00~19:00

定休日:火・水曜日(その他不定期休がありますので詳しくはホームページ等のカレンダーでご確認ください)

HP: http://kotaro-iseki.net

FB: https://facebook.com/kotaro-MLA

伊予市「こたろう博物館」館長いせきこたろうさんの【こたろうの『伊予市、ナニミル?ナニヲシル?』】連載紹介♪

◆「伊予市ガイド vol.162 第23回 寺に詣でる-(1)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/85177

◆「伊予市ガイド vol.156 第22回 神社に詣でる-(6)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/84157

◆「伊予市ガイド vol.153 第21回 神社に詣でる-(5)」

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◆「伊予市ガイド vol.149 第20回 神社に詣でる-(4)」

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◆「伊予市ガイド vol.147 第19回 神社に詣でる-(3)」

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◆「伊予市ガイド vol.144 第18回 神社に詣でる-(2)」

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◆「伊予市ガイド vol.141 第17回 神社に詣でる-(1)」

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◆「伊予市ガイド vol.138 第16回 石造物を訪ねる」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/78092

◆「伊予市ガイド vol.135 第15回 道を訪ねる-(5)~いにしえの道」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/77204

◆「伊予市ガイド vol.132 第14回 道を訪ねる-(4)~その他の道」

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◆「伊予市ガイド vol.129 第13回 道を訪ねる-(3)~市道とか」

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◆「伊予市ガイド vol.126 第12回 道を訪ねる-(2)~そして県道へ」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/74761

◆「伊予市ガイド vol.123 第11回 道を訪ねる-(1)~まずは国道を」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/73821

◆「伊予市ガイド vol.120 第10回 橋を眺める~何かしらを跨ぐ路(みち)-(4)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/72993

◆「伊予市ガイド vol.117 第9回 橋を眺める~何かしらを跨ぐ路(みち)-(3)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/71897

◆「伊予市ガイド vol.114 第8回 橋を眺める~何かしらを跨ぐ路(みち)-(2)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/71175

◆「伊予市ガイド vol.111 第7回 橋を眺める~何かしらを跨ぐ路(みち)-(1)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/70419

◆「伊予市ガイド vol.108 第6回 地下を潜る路」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/69458

◆「伊予市ガイド vol.105 第5回 川を堰き止めるものを訪ねる」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/68618

◆「伊予市ガイド vol.102 第4回 水を求めて~川を見つめる(2)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/67646

◆「伊予市ガイド vol.99   第3回 水を求めて~川を見つめる(1)」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/66679

◆「伊予市ガイド vol.96   第2回 水を求めて~ため池を眺めてみる」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/65665

◆「伊予市ガイド vol.93   第1回 農村風景を眺める」

https://matsuyama.mypl.net/article/iyo-perfectguide_matsuyama/64697

来週あたりついつい行きたくなる

伊予市情報特集ページ

公開した『伊予市パーフェクトガイド』

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伊予市パーフェクトガイド

イラスト:山内ひろみ

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※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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